1. TOP
  2. 【 ボブディラン 】と ノーベル賞のゆくえ

【 ボブディラン 】と ノーベル賞のゆくえ

 2016/10/23 新着記事 社会問題
この記事は約 13 分で読めます。 244 Views
Athlete holding trophy cup

ボブ・ディラン が ノーベル文学賞を授与された、と聞いた時にも驚いたが。当の本人は雲隠れして選考委員たちとも連絡をとってないと聞いてまたまたびっくりした。いったい、どうなってるの?

 

ノーベル文学賞なのに、ミュージシャンが受賞??

まず最初に感じた疑問というか違和感がこれだ。

ミュージシャンが、なぜに「ノーベル文学賞」を受賞する??

Man sitting on stool in dark room playing guitar

 

それであれば毎年「今年こそは」と期待を煽(あお)られ何年も袖にされてきた「村上春樹」フィリップ・ロスに、まずはあげようという気にはならなかったのか? 彼らの顔が頭をよぎったにも関わらず、選考委員たちの「世間をアッと言わせて度肝を抜いてやろう」という舌なめずりしていた表情がどうしても思い浮かんでしまう。

 

ボクはバンドマンなので、立場上はボブ・ディラン を支持したいところだが、どうしてもこの違和感が拭いきれない。

音楽は、ノーベル文学賞なのか?

 

ボブ・ディラン、連絡とれず

それほど強引に決めた「ノーベル文学賞」授与にも関わらず、本人のボブ・ディランは姿をくらまし、選考委員たちとはいまだ連絡がとれない状況が続いているという。焦った選考委員、とくに同賞を選考したノーベル委員長の ペール・ベストベリィ 氏は21日、ボブ・ディランに対し「無礼で傲慢(ごうまん)だ。でもそれが彼ってものだ」と苦言を呈した。

12月10日にストックホルムで開かれる授賞式では、受賞者による記者会見や講演も予定される。だがディランは受賞するつもりがあるかも不明だ。

 

ボブ・ディランが気難しく、名誉などに媚びない、というよりも常に反体制の姿勢を貫いてきたのは周知の事実だろうに・・

ノーベル賞に限らず、こういった大きな賞は「授与する側」が有利であり選択権がある。選ばれし者にはうやうやしく晴れがましく喜びの中で「自分の生涯をかけた仕事」を振り返り「評価されたこと」を感慨深く噛みしめて欲しいのだ。

ところが、せっかく選んだ相手が今回のように無礼だと賞そのものの価値が失墜してしまう。権威ある賞をそんなに軽く扱われては権威側は困るのだ。

 

Businessman against black bear balancing on cliff with sky trees landscape background

 

一方、ボブ・ディラン側にしてみれば「いきなりノーベル賞」をくれる、と言われてもたいして有難くない、という思いがある。なぜなら彼は、ほとんどの名誉ある賞を受賞し尽くしてきた。もはや世の中に認められまくっており、今更「ノーベル文学賞」をもらったからといって「自分の輝かしい経歴に1つ勲章が増えただけ」のことである。

つまり、ディランにとってはメリットは薄く、むしろノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーの関係者側の方のメリットが大きい。「あのボブ・ディランにノーベル賞をあげた」のだから世界の注目度は例年よりも上がりノーベル賞そのものの権威が上がるからである。

 

ボブ・ディラン が受賞した 名誉 の数々

75歳のディランは、すでにあらゆる栄誉を与えられてきた。

アカデミー賞歌曲賞も、ピュリッツァー賞も、ケネディ・センター名誉賞も。さらに大統領自由勲章も受賞している。

以下に、その受賞の数々を掲載する。これを見れば「今更ノーベル賞ごとき」に心躍らせることもないのだろう。

殿堂のイメージ画像

 

ボブ・ディランの受賞リスト

出典:Wikipedia

 

アメリカ合衆国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディランが受賞した著名な賞・アワード、殿堂入り、名誉博士号のリストは次のとおりーー

1963年 [ グラミー賞 ] 最優秀フォーク・レコーディング部門 (ノミネートのみ、受賞せず)

※ グラミー賞とは、全米レコード芸術科学アカデミー(NARAS)が、毎年最もすぐれたレコードアーティストを部門別に表彰するために設けた賞。音楽の世界の最高の賞である。

 

グラミーの殿堂 

※ グラミーの殿堂は、グラミー賞の特別部門として1973年に制定され、録音から25年以上経過した「質的、歴史的に著しい」レコーディングから選出される。殿堂入りしたボブ・ディランのシングル、アルバムは以下の6つ。

「風に吹かれて」 フォーク(シングル)

「ライク・ア・ローリング・ストーン」 ロック(シングル)

「ブロンド・オン・ブロンド」 ロック(アルバム)

「ミスター・タンブリン・マン」 ロック(トラック)

「追憶のハイウェイ61」 ロック(アルバム)

「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」 ロック(アルバム)

 

ロックの殿堂

※ ディランは1988年にロックの殿堂入りし、「ロックン・ロールの歴史500曲」にディランの楽曲 以下5曲が選出された。

「風に吹かれて」

「時代は変る」

「ライク・ア・ローリング・ストーン」

「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」

「ブルーにこんがらがって」

 

アカデミー賞

2000年 映画『ワンダー・ボーイズ』の主題歌で「シングス・ハヴ・チェンジド」が、アカデミー歌曲賞 受賞。

ゴールデン・グローブ賞

翌2001年 同映画主題歌が、今度は ゴールデン・グローブ賞主題歌賞を受賞する。

 

その他受賞と殿堂入り

1963年 トム・ペイン賞 受賞
1970年 プリンストン大学(ニュー・ジャージー州) 音楽名誉博士号
1982年 ソングライターの殿堂  殿堂入り
1990年 フランス芸術文化勲章  受章
1997年 ケネディ・センター名誉賞  受賞
1997年 ザ・ドロシー・アンド・リリアン・ギッシュ賞 受賞
2000年 ポーラー音楽賞  受賞
2002年 ナッシュヴィル・ソングライターの殿堂  殿堂入り
2004年 セント・アンドルーズ大学(スコットランド)  音楽名誉博士号
2007年 アストゥリアス皇太子賞  受賞
2008年 ピューリッツァー賞特別賞 受賞
2009年 アメリカ国民芸術文化勲章 受章
2012年 大統領自由勲章  受章
2013年 レジオンドヌール勲章  オフィシエ 受章
2016年 ノーベル文学賞 受賞

 

ここまでもらえば、もう受賞なんて「おなかいっぱい」ノーベル文学賞・・ どうしようかなー。

な気分もわからないでもない。

 

Gold and silver trophies on a wooden table

 

アメリカ人の誇り

このように世界中でファンの多い ボブ・ディラン ではあるが、とりわけアメリカ国内での人気が高い。

ディラン のノーベル文学賞が発表されるとすぐ、バラク・オバマ大統領や作家のスティーヴン・キングなどが、SNS などにお祝いのコメントなどを投稿し全米に祝賀ムードが広がった。ブルース・スプリングスティーンに至っては長文のメッセージを発信しているほどだ。

 

ビートルズにも影響を与えている

ボブ・ディランと同時期のスターといえばビートルズ。

ジョン・レノンはディランに会うまで、ポップ音楽で「ラブ・ミー・ドゥ」以上のことは表現できないと考えていたという(出典:ニューズウィーク)

しかし当時、レノンは頭の中にあった「階級への怒りやメッセージソングへの壮大なアイデア」を形にできずにいた。しかしジョン・レノンはディランに会い、自分の中で起きているカオスを芸術に昇華させるヒントをつかむ。メッセージ・ソングの先行者としてのボブ・ディランは ジョン・レノンに多大な影響を与え、ビートルズの楽曲の中にメッセージ性の強い曲を創造する一翼を担ったといえる。それがバンドの幅を広げ、ビートルズの大成功につながってゆく流れとなった。

 

ブルース・スプリングスティーン、ボンジョヴィ へと続く流れ

ブルース・スプリングスティーン がボブ・ディランの影響を色濃く受けているのは有名な話だが、ジョン・ボンジョヴィは ブルース・スプリングスティーン に影響を受けてバンドを作ったと話している。つまり、

ボブ・ディラン → ブルース・スプリングスティーン → ボンジョヴィ

という系譜が見てとれる。

楽曲を聴けば、根底に流れるメッセージ性に共通のものを感じずにはいられない。もちろん彼ら以外にも、ボブ・ディランに影響を受けたアーティストは限りなく存在するだろう。

 

Guitarist on stage for background

 

ボブ・ディラン の歴史

ボブ・ディランは、他人に素顔をさらすことを徹底的に嫌う。ハイ・スピードでスターに登りつめたことにより、熱狂的なファンを超えた「ストーカー」のような連中が増えて人目を避け、孤独が友達になる。偏屈な性格はますます人を寄せ付けない変わり者としてのキャラを色濃くしていく。

若い頃のディランは謎めいた言葉やホラ話で人をけむに巻き「旅回りのサーカスにいた」と語ったこともある。

ボブ・ディランという名も芸名で、本名は「ロバート・ジマーマン」という。

 

ミネソタ州のユダヤ系アメリカ人の家庭で、比較的豊かな子供時代を送ったディラン は、1960 年に地元の大学を中退した後、ニューヨークに移る。

そして本名の「ロバート・ジマーマン」からボブ・ディランに改名し「コロンビアレコーズ」と契約してフォークソングを発表していく。

「風に吹かれて」「時代は変わる」「戦争の親玉」といった曲だが、これらは当時のベトナム戦争への反戦歌として若者の間に広まり、特に大学生たちにとっては定番のプロテストソングになっていった。この学生たちの反戦運動は日本にも飛び火し、学生運動、フォークソング、ボブ・ディランとセットで受け入れられた。

 

戦闘用ヘリコプター シルエット

 

ところが、そんな学生たちの熱狂をあざ笑うようにディランは 60年代半ばにはロックに転向し、しばらく「ラブ・アンド・ピース」の世界と距離をとった。このことが若者の反発を買い、

 

「フォークへの裏切り」と非難された

ディランは、言葉でメッセージを伝えることにこだわり続ける「フォーク・ソング」というスタイルに限界を感じていた。

反戦歌、というカテゴリーに閉じ込められレッテルを貼られるのが嫌で嫌でしょうがなかった。そこで、サウンドそのものが自由な「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたのだ。音楽家として、非常に先見の明に優れているーー
ところが、その後のコンサートでの観客の反応は、残念ながらブーイングの嵐だった。メッセージ性の高いラディカルなミュージックファンたちは、「フォークへの裏切り」とボブ・ディランを非難した。彼の変化の意味を理解する者は、フォーク・ファンの中に、わずかしか存在しなかったのだ。

しかし自己変革を続け進化しつづけるボブ・ディランは新たなるファン層を巻き込みながら再び高い評価を得てゆく。そして、常に人々の予想を裏切る行動、作品を発表しつづけてきたのだ。

 

独特の歌い方

ボブ・ディランの歌い回しは独特で、「酔っ払って口をモゴモゴ動かしてつぶやく」ような歌い方だ。多くのアメリカ人が仲間内で笑いをとる時の定番ネタとしてディランの歌マネをする。「親戚のおっさんと同レベルの歌」というのが世間の一致した評価だったりする。

この件について当の本人は’65年のタイム誌のインタビューで次のように語っている。

「僕は(名オペラ歌手のエンリコ・)カルーソーと同レベルのいい歌手だ。その気になれば、今より3倍長く息を止めることだってできる」

 

2人の男性酔っ払い

 

さて、ノーベル賞の話に戻るが・・

誰もがノーベル文学賞には一目置いているーー

なら、なぜ ボブ・ディランは雲隠れしているのか?

 

ノーベル財団のホームぺージによると、ノーベル賞の発表当時に辞退したのは過去6人。自らの意思で辞退したのは、仏哲学者ジャンポール・サルトル氏(1964年・文学賞)と、北ベトナムの労働党政治局員レ・ドク・ト氏(73年・平和賞)の2人だけだ。

この件について。

「高須クリニック」 の、高須克弥院長のツイートが話題になっている

反戦のシンボルだった歌手が爆弾製造会社創業者が作った賞を喜ぶわけがない。 ビール会社かハンバーガー会社の賞なら受けとると思うけど・・・

 

なるほど。

 

自分の死亡記事を見て、ノーベル賞は誕生した

ノーベル賞の生みの親である アルフレッド・ノーベルって人。。そもそも、なんでノーベル賞なんか作ったんだろうか? もともとはダイナマイトを作った人物であるーー

 

結構、有名な話だからあなたも聞いたことがあるかもしれない。

ある日、アルフレッド・ノーベルが新聞を読んでいたら、なんと自分の「死亡記事」が新聞に載っていた。まじか!

 

Man with startled expression reading a newspaper

じつは亡くなったのはアルフレッド・ノーベルの兄だった。それを新聞社が間違えて彼が死んじゃった、と早とちりして載せてしまったのだ。そこには、こう書かれていた。

「死の商人、死す(The merchant of death is dead)」

この記事を読んで、アルフレッド・ノーベルはショックを受ける。

ダイナマイトの発明は、それまで液体で、ちょっとの振動でもすぐに爆発してしまう「ニトログリセリン」を固形にすることで安全にした、というアイデアだ。

技術的にもそんなに難しくないシンプルなものだったらしいが、そもそも「液体を固形化する」という発想自体がそれまで誰も思いつかなかった。完成したダイナマイトは世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、ノーベルは一躍世界の富豪の仲間入りを果たす。悠々自適に生活していた時に目に飛び込んだ自分の死亡記事ーー

「自分が死んだ」ということよりも、その記事の内容にアルフレッドは強いショックを受けたわけである。

彼は平和主義者で、人種差別や戦争を嫌っていた。それなのに自分の発明は、戦争の道具に使われ、ノーベルの名前がついた戦争兵器の会社も多数ある。人を殺すことを目的に多数のダイナマイトが作られ、その利益が自分のもとに入ってきて巨万の富を得る。心を痛めていた。この矛盾に葛藤していた。が「死の商人」と新聞の見出しに書かれたことによって、彼のいら立ちはピークに達し、自分の死後の評価を気にするようになり。ノーベル賞の設立を考案するに至ったのだ。

彼がスウェーデン生まれであったこともあり、授賞式はスウェーデンのストックホルムで行われてきた。

Aerial panorama of Stockholm, Sweden

しかし、ノーベル平和賞だけはノルウェーで授与式がなされる決まりになっている。

これは、当時スウェーデンから独立したノルウェーが、ノーベルが生きていた頃、独立運動を活発化させ非常に対立していたから。両者の争いを鎮めようとするのが目的だった。

また、数学者へのノーベル賞がないのはなぜだろう ?

いくつかの説があるが、一番有力な説は、「数学者に恋人を奪われたことがあり、数学者を嫌っていたから」という理由。

 

12月10日の授賞式に ボブ・ディランが出席するかどうか、いまや世界中から注目されている。

 

ボブ・ディラン代表曲 解説

「風に吹かれて」

この曲の魅力は、何といってもその詞にあるだろう。様々な疑問を問いかけながら、答えは歌われない。人々はその詞に、当時のアメリカの社会や体制への怒りを読みとった。世の中を変えたいと願う人々の間で抗議の歌、プロテスト・ソングとして歌われるようになり、ベトナム反戦運動や公民権運動の中で、必ず歌われる歌となった。

また、黒人差別についても歌った「風に吹かれて」は、公民権運動の賛歌になった。

 

「時代はかわる」

ケネディの大統領就任演説にヒントを得て作られたものとされ、ライターや議員・親たちに向って古い価値観が通用しなくなっていることを説く、典型的なメッセージソングである。

 

「Like a Rolling Stone」

それまでの弾き語りと異なり、エレクトリック・ロックバンドで表現される大音量のロックビートに乗せた楽曲。1965年7月。ディランが出演したニューポート・フォーク・フェスティバルにおいて、この曲がライブで披露された。

 

音符がほとばしる

 

 

 

この記事を読んだあなたは:こんな記事にも、興味ないっすか?

↓ ↓ ↓

【 我々はどこへ向かうのか? 】人と自然と効率とエゴ

\ SNSでシェアしよう! /

ミスター・ワイルド|自分をデザインするライフスタイル・マガジン!の注目記事を受け取ろう

Athlete holding trophy cup

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

ミスター・ワイルド|自分をデザインするライフスタイル・マガジン!の人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!

ライター紹介 ライター一覧

Mr. WiLD 編集部

Mr. WiLD 編集部

各カテゴリーの専門家集団。個人名、プロフィールなどは各記事のプロフィールをクリックして確認してください。

この人が書いた記事  記事一覧

  • 【 いじめ対策 ・解決法 】泣き寝入りしない戦いかた

  • あきらめなければ夢はかなう、というのは【 ウソ 】か ?

  • 長時間労働【 奴隷 】から抜け出そう!

  • 【 おひとり様 】 を 楽しもう! その1 焼肉

関連記事

  • テレビをパソコンで見る方法【 道具はいらない、超カンタン! 】

  • 【 おひとり様 】 を 楽しもう! その1 焼肉

  • あきらめなければ夢はかなう、というのは【 ウソ 】か ?

  • 世界で一番古くからある会社 は【 日本にあった! 】

  • 太ったブタになるのはイヤだ。【 オトナのダイエット 】

  • 【 我々はどこへ向かうのか? 】人と自然と効率とエゴ