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跳べ!ロックンロール・ジーニアス【 第3話 】

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音楽ドキュメント・ストーリー  跳べ!ロックンロール・ジーニアス

1980年代に巻き起こった 原宿歩行天バンドブーム の真実

【 第3話 】 はじまり

 

 

〔バンドはこうやって出来上がった〕

 

そもそも物事のはじまりを話すのは難しいことだ。

 

はっきり、ここからここまでが過去。で、ここからが始まりね。

なんていうふうには人生は出来ていない。だから、このバンドの始まりも、最初はぼんやりしたものだったーー

オレはバンドマンを目指して東京で頑張っていたものの、メンバー探しに難航してなかなかバンドを結成することが出来なかった。そんなある日ーー

 

池袋の地下道を通っていたら連続して同じポスターとチラシが貼ってあった。

「なんだろう?」と思って近づいて見るとリーゼントとポニーテールの男女の写真。キャロルのような、いや。大人数だったからシャナナやクールスのようなグループ。ミスター・スリムカンパニーという劇団の公演の宣伝チラシだったんだ。

ロックンロール・ミュージカルのミスター・スリムカンパニーといえば当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気小劇団だったけど、当時のオレはそんなこと知らない。劇団なんて興味もなかった。

でも、ロックンロールだし。リーゼントだし。ミュージカルって響きが気恥ずかしかったけど、とりあえず観に行ってみるか。と、軽い気持ちで劇場に向かったんだ。

ま、これ以上詳しい話は本筋と外れるので別の機会に話すとして。オレは衝撃を受けたの。こんな世界があったのか、と。影響を受けた。それが2年間もの遠回りになるとも知らずに・・

今考えれば「なにやってんの?」ってことなんだけど。オレはバンドをやるつもりが劇団を結成しちゃって。あれよあれよという間に20人近い劇団員を抱えて座長みたいな立場になり、最終的にはミスター・スリムカンパニーにもちょっとだけ参加したりした。

 

ホント、なにやってんの、オレ?

って、やっと気づくまでに2年もかかったんだよ。笑っちゃうけどね。

劇団の公演も50回ぐらいやって。もう演劇の人だ。演劇の人、って周りからもやけに言われるようになった時。
「あれ?そうだっけ・・いや、違うぞ。オレがやりたかったのはバンドなのに」

と気づいたんだ。ちょっと・・こんなに気づかなかったのは、もちろんオレがかなりのオトボケだったってこともあるんだけどさ。ロックンロール・ミュージカルだから。

生バンドを入れて芝居をやるんですよ。つまりバンドをバックに歌ったり踊ったりしているうちに、自分ではバンドと芝居がごっちゃになっていたんだよね。

演劇のステージ写真

音楽やるはずが、芝居の世界へ

 

まぁ、間抜けな話には違いないんだが。
で、とにかくオレは気づいた。バンドをやらなきゃ始まらない。オレはロック・シンガーになりたいんだ、って。

その時、もう24歳になってたから。やばい! かなり歳とってきてる。いそがなきゃ、間に合わないぞと。で、芝居関係のことからすべて手を引いたの。

そうやってミスター・スリムもやめて、すぐバンド作りをはじめたんだ。

広島の実家に帰っちゃった劇団のバックバンドの「トミノスケ」ってドラマーを呼び戻してね。「トミノスケ」っていっても本名じゃないよ。オレがつけたの。若山だから。トミノスケ。

「どうして?」

「若山トミノスケって役者、いるだろ?」

「・・・? それを言うなら、”若山富三郎”じゃないの?」

って言われたんだけど・・「そうか。でも、とりあえず トミノスケな」ってことで、トミノスケになったんだ 彼は。

トミノスケは、オーソドックス・スタイルだけど当時のアマチュアミュージシャンの中ではドラムがうまかった。で、彼でドラムは決定。

ほかにも劇団のバックバンドやってた連中がいるから、集めてバンドを結成しようと思ったんだけどそのドラマーのトミノスケ以外の連中には「やらない」って断られて。

困ったな、と思ってたら。トミノスケが同郷の、広島のギタリストが東京にいるという。「池袋の工事現場で、現場監督やってるからスカウトに行こう」って。会いに行ったよ、そいつに。お好み焼きの好きなやつだった。

ていうかさ、広島の人間って本当にお好み焼き好きだよね。いや、お好み焼きなんて言い方をすると怒られる。キャベツのいっぱい入った、広島焼きね。

おたふくソースがどうした、どろソースがどーの。
っていう講義を 彼が連れていってくれた工事現場の近くの広島焼きのお店で延々聞かされながら。小麦粉をたらふくビールで流し込んだ。とにかくこっちはメンバーを集めるのに必死だからさ、うんうん相づちをうってた。

で、そのヒカルってギタリストを口説き落として音楽スタジオに入ったんだ。彼のギターも、確かな腕前だったからね。

トミノスケがドラム、ヒカルがギタリストでオレがヴォーカル。今はオレもギター弾くけど、当時は歌が好きなだけのシンガー志望の男だったんです。オレ。

 

活動をはじめて。

最初は楽しかったんだけど・・すぐ飽きちゃった。

ひとつにはベーシストが見つからず、いまいち音に重さと厚みが足りないってのが理由。あとは・・

「なんか違うなぁ。オレのやりたいのは、こういうことじゃない」

サウンドの物足りなさ。プレイヤーとしてのエンターテインメント。つまり・・皆うまいけど。アマチュアとしてはそれなりの音出すけど。悪い意味でスタジオミュージシャンみたい。

いや、本物のスタジオ・ミュージシャンはスゴいけどね。超絶技巧の持ち主がサラッ、と笑いながらハイレベルなことやってのけ、はいオツカレさまー。ギャラちょうだい。と、クールにお仕事する。

で、ヒカルもトミノスケもそこまでの技術はぜんぜん無いんだけど、サラーっとこだわりなく演奏してオツカレさまー。ってところだけがスタジオ・ミュージシャンぽかった。曲調も歌謡曲みたいな。トミノスケはルックスも作曲するサウンドも当時流行ってた CCB そっくりだし。そういう曲をトミノスケが作ってきてヒカルもそんなノリで弾いてたし。それを歌えって言われても・・

オレはそういうことじゃなくて、もっとバンドバンドしたものがやりたかったの。「ブルース ロック」みたいなサウンドに刺激を受けた。でも音楽的知識が決定的に足りなかった。楽器も弾けないし曲も作れなかったから、

「ストーンズみたいな ヘタうまなバンドがやりたい」

って皆に言っても理解してもらえなくてさ。結局当時はやりの歌謡曲とフュージョンが混じったみたいなサウンドに落ち着いちゃうんだ。
あと 動き、ね。

「カッコよく動きながら弾いてよ」って言い続けてたんだけど、「なんで動くの?音楽は音に集中するもんでしょ」って感じで突っ立ったままで静かぁに演奏してるんだよね。棒立ち。音さえ出りゃいいのか? でも当時、子供バンドとか。ポツポツ動くバンドが日本にも出始めてきてたんだ。

「見ろ。やっぱり オレの言った通りになった。音楽はエンターテイメントに変わりつつある。皆、もっと動こうよ」ってハッパかけるんだけど、地味な人たちだし・・・。

ホント、どこまで行ってもバックバンドだな これじゃあ。って頭を抱えちゃったんだ。

そんなある日――

オレの劇団のステージをよく見に来てくれてた、言ってみれば”ファン”みたいな女の子から電話がかかってきた。

「仲間を集めて芝居をやるんだけど、”演出”を手伝ってもらえませんか?」

ってね。一瞬、言葉につまっちゃったんだ。もう芝居はやめてバンドをやっているんだよ、って言いたいんだけどバンドはあんな調子だし。どうしようかな、と。気晴らしを求めて手伝いたい気分もある。でも・・
劇団をやってた頃の色んなことが思い出されてさ。グループを維持するために、いい加減さや我がままに振り回され、人の面倒ばかり見ていた。「これからは人のためじゃなく、自分のために積み上げるんだ」そう心に誓ったからね。オレはバンドマンだ。

もう あの頃には戻りたくない。

 

でも まぁ、金も一切出さなくていいって言うし、裏方で手伝うだけなら・・・まぁ いいかって。練習に行った。

代々木のオリンピックセンター。
メンバーは女の子ばかり 10人近くいたのかな。

肉体を酷使する練習方法で 軽くしごいてみた。案の定、何人かやめるって話で。次の練習から6・7人に減ったの。

いいんだよ。そういう「遊び」で来てる奴らはやめちゃっても。そんな奴らとは関わりたくない。人の劇団だったからね、気楽。やりたいようにやるんだ。

「どうせ みんな根性なくて、やめちゃうんだろ?」

ぐらいな気持ちさ。ステージに立つって、そんな甘いもんじゃないから。客の視線って冷たいもの。シビアに見てるもの。ちゃんと練習で汗流してる奴だけが、その視線に耐えられるんだよ。

ところが 残ったメンバーは、予想に反して一生懸命ついてくるんだ。「へー」って感心した。素直なの。

何も持たない奴らの最大の武器は、「素直」ってことだね。
何かを身につけようと思ったら、絶対素直じゃないと駄目だ。言われたことを、いちいちひねくれて取ってたら、先へは進まないよ。素直な奴だけが残ってく。

コイツらは、有名な劇団の研究生だった。

やっぱ そういう所のオーディションに受かる奴は違うねって思う。こういうメンバーが最初からいれば、オレも苦労せずに済んだんだ。素直で一生懸命な奴らだから、やりがいがある。オレもだんだん本気になってきた。熱が入ってきたの。

オレには 痛い思いをして手に入れた、貴重な体験があったからさ。
そう、教えることはいっぱいあった。本で読んだような、机上の空論じゃない。全部、実体験によるものだから。そういう「リアリティ」を彼女たちも感じとってくれたんじゃない?信頼してついてきた。

「よし。基本的なトレーニングも終わったし、そろそろ芝居を作ろうか」って。

とは言っても、メンバーが少なくなっちゃったからね。少し補充しようって。オレはスリムの知り合いとか、今井雅之なんかを呼んできた。今井雅之・・・

先日、亡くなったね。びっくりした。まだ若いのに・・ 冥福を祈ります。ほんと、いいやつだった。

その、今井雅之。

フフ。あいつ肉体派だったなぁ。この間まで自衛隊にいて、戦車転がしてたとか言ってさ。以前あいつを主役にした芝居をやったことがある。オレが演出して。

声はでかいけど、滑舌が悪くて、しゃべりがはっきりしなかった。地方出身だから、独特のイントネーションだったしね。このしゃべりは役者向きじゃないんじゃないか、というのが最初の印象だったね。

ところがあいつ、見事に有名人になった。「ウィンズ オブ ゴッド」って戦争の芝居の脚本を書いて、演出 主演と。ブロードウェイの方に持ってったりして、ニュースでも取り上げられてた。映画にもなった。この間、レンタルビデオ店に置いてあったよ。ま、関係ない話だけど、とにかく今井も参加させて。

女の子連中は連中で、昔の劇団仲間に声をかけて誘ってたみたい。皆、それなりに雰囲気を持った奴らが集まって。池袋の芝居小屋で3日間の公演をした。

フレッシュだったよ。スゴく新鮮な感じ。
芝居はヘタだったけど、何か すごく「ピュア」でいいんだ。魅力があった。

good と指を立てる写真

 

でもだからって、彼女らとこのまま芝居を続ける気は毛頭ない。やっとバンドに戻ったんだし。劇団を手伝ったのは、あくまでも気晴らし。裏方に徹してしばらく今後の展開を考える時間が欲しかったのだと思う。

その頃、バンドは トミノスケとギタリストのヒカルとオレと。3人で細々とスタジオに入っていた。

「う~ん、このままじゃ、バンドつまんねぇな」と思いながら、トミノスケの作ったオリジナルを練習してたんだけど・・・

バンドの連中は、そこそこのテクニックはある。でも、今のままじゃつまんない。なんとかしなきゃ、魅力がないんだ。
一方、劇団の女の子達は、個性的で前向きで楽しいんだけど、残念ながら技術がない。

技術と魅力。
考えさせられるテーマだけど、どっちが欠けても奇跡は起こらない。
劇団とバンドじゃ、まったく別物なんだけど何かそこに。大きなヒントが転がっているような気がしていた。捨てがたい宝が目の前にあるような。何かの化学変化が起きそうなザワザワと心が波立つ予感。。でもそれはまだ、ぜんぜん姿を現していなくて。ただ何かが起こりそうな予感だけがそこにある。

 

そんな「矛盾」と「葛藤」を抱え、オレは2つのグループを行ったり来たりしていた。

 

= つづく =

 

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【 第1話 】 Introduction

【 第2話 】 原宿歩行者天国

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ライター紹介 ライター一覧

ロックンロール 社長 池松 kaz

ロックンロール 社長 池松 kaz

株式会社ジーニアスインターナショナル
(http://www.genius-kaz.co.jp)代表。Smart CrutchJapan 代表。Lily Nily Japan 代表。Funky Station 代表。渋谷区在住。

貿易会社社長として活動する一方、ロックバンドのシンガー、サイドギタリスト、作曲家、作詞家としても活動し、音楽とビジネスの融合を目指す仕事を展開している。

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