あきらめなければ夢はかなう、というのは【 ウソ 】か ?

地方都市のアーケードを歩いていた時、若いアイドルグループの歌が聞こえてきた。
「あきらめなければ夢はかなう。その道を行け!」
みたいな内容だったと思う。ボクは不覚にも怒りがこみあげて、その場に立ち尽くしてしまった。10年ほど前のできごとだ。
ボクも、夢はかなう、と思う派だ。
だけどさ、その歌詞、誰に歌わされてるの?
30年近く、音楽業界に振り回されたボクとしては、爽やかに悩みなくポップにそんなことを歌われたって素直には聞けなかった。その後ボクは起業して「自分の会社を持つ」という夢はかなったが、音楽プロデューサーと約束した「いつかkaz の曲をヒットさせて多くの人が口づさむようにしよう」という夢はいまだにかなっていない。
それでも、ボクは夢を追い続ける人生を送るだろう。
宣言したことを簡単にあきらめる人がいる。それでは夢がかなわない、と人に笑われる。
しかし、あきらめなければ夢はかなうのか?
残念ながら、ボクは音楽での成功を夢見続け地獄に落ち、年をとったーー すると周りはどう言ったか?
「あきらめの悪いやつ」
そんな言葉は聞き飽きるほど浴びていたが、ある時ーー
再会した昔のファンの女の子に、
「いまだにやってんの? バンド」
と言われた時にはさすがにショックだった。熱烈なファンの女の子だったが、偶然再開したその時には彼女の子供の手を引いていた。暮らしぶりの良さそうな若奥さんって感じだったね。一方ボクは、運送会社でクタクタになるほど働かされて、それでも時間を作ってバンドを続けていた。あきらめちゃ、いけない。こんなところで終わってたまるか、という意地があった。
でも彼女に「今度ライブやるから、来てよ」と言ったら「まだやってんの?」と憐れむような目で吐き捨てられてしまった。
彼女にしてみれば、腹立たしかったんだと思う。昔胸ときめかせて通い詰めたバンドの今が、こんなにも落ちぶれている。思い出をこわすな、といういら立ちがあったのだと思う。
あきらめない、とは。いい意味でも使うが、悪い意味では「執着」にもなる。ストーカーも、あきらめの悪い行為だしね。だから、
「執着」と「正しくあきらめない」ことは違うんだよ、ということについて書いてみたい。
Contents
まだ若いんだから、と いい年して という言葉
この世には「おせっかいな人」がいる。
頼みもしないのに、アドバイスをくれる人間だ。親や教師、親戚のおじさん、おばさん。友達・・
そういう人たちを大事にしたい気持ちはわかる。しかし、夢をかなえたいのなら「彼らの話を鵜呑みにしてはいけない」いや、むしろ彼らの意見に耳を傾けてはいけないのだ。夢をかなえたいなら、ね。
一流の音楽家の家に生まれたり、プロ野球選手の家に生まれて「自分も親のような人生を歩もう」と思うのなら、親の意見を聞くべきだ。恵まれた環境に育ったことに感謝しよう。が、そうでないのならーー
よく考えて欲しい。
あなたが夢を見た時、何か行動を起こして今の現状を打破し、自分の胸がときめくワクワクする未来への扉を開けようとした時。その場所から一歩踏み出そうとした時ーー 必ず反対するのは身近にいる人である。
これらの人を、ドリーム・イーター(夢喰い人)という。
「まだ若いんだから、そんなこと考えなくても」「そんな夢みたいなこと、世の中はお前が考えているほど甘くないぞ」
「いい年して。いつまで夢みたいなこと言ってんの」「俺の子が、そんな才能あるわきゃない」「あなた仕事辞めて家庭を壊す気?」
彼らの罪は非常に重いのだが罰せられることもなければ、牢屋に入れられることもない。しかし、彼らはあなたの可能性の芽を摘み「自分の許せる範疇の人間」でいさせようとする。善人づらして、あなたの周りにいるし罪の意識もなく、かえって「あなたの味方」だと思っている。しかし彼らは間違いなく、あなたの夢を食べている。
最短、最速であなたの夢をかなえる方法は、ただ1つ。
すでに成功している、「あなたのなりたい姿、職業についている一流の人」に近づき、その人から教えてもらうことである。この人だけがあなたの夢をかなえることができるし、アドバイスする資格がある。だって、あなたの理想をすでに達成しているし、そこまでの道のりで出会った困難のかわし方も、失敗から立ち直るモチベーションの上げ方もトレーニング方法も、やっていいこと、いけないことも全部知っている。そういう人に近づく方法を考えることが成功への一歩である。
たとえば、その人がスクールなりトレーニング・ジムをやっていればそこへ入ればいいし、その人の弟子が教えていたら、とりあえずその人に教えてもらうのでもいい。とにかく自分の理想に1歩でも近づく。DVD が出ていたら買い、本を出していたらむさぼり読む。成功者がやっているのは、そういうことだ。
一方、成功しない人は「自分の身の回りにいる人」の意見を聞く。最もあなたに意見する資格のない人の意見だ。
あなたに意見してくる人の、それまで成し遂げたことを見て欲しい。人に歴史あり。彼らの生き方、歴史を観察して欲しい。身内だから、とか。親しいから、という感情を抜きにして冷静に俯瞰(ふかん)するのだ。
彼らはあなたが成りたい姿か? 理想のライフスタイルを送っているのか? 憧れの人か? もし「YES」なら彼らのアドバイスを聞こう。そうじゃないなら、あなたは夢を食われる。
有言実行の罠
自分が達成しようという大きな目標、夢を周りに言いふらすヤツがいる。
自信満々で大風呂敷を広げ、自分も周りも鼓舞して目標に向かうスタイルだ。しかし、これで夢がかなう人間は少ない。性格と環境が影響するからだ。
有言実行で夢をかなえる人間は、ある意味協調性に欠ける性格を持っている。自分の目標達成のためなら他人が不幸になろうが泣こうが苦しもうが関係ない。すべての優先順位を「自己の目標達成」に置き、それ以外はどうでもいい、と思える性格である。意志が強い、という言い方も出来るが「性格が悪い」との評価もある。だから、こういう人間は何がなんでも目標達成していく。それ以外、他人が自分を認めないことを知っているからである。勝てば官軍、成功すれば人も世間も認めてくれ、優しくなるから勝つしかない、という断固とした信念を持っているーー
さらに環境が、その身勝手さを許してくれる。周りに理解者がいるとか、横暴な利己主義を黙認する大らかな状況があるのだ。
しかし多くの人は、これができない。
自分の足元に死屍累々(ししるいるい)の、自分に負けた連中がいて傷つき涙を流しているのに踏みつけて、さらに上に登ろうとするなんて胸が痛む。協調性があるからである。人の痛みがわかるからだ。環境的にもお金がなかったり、理解者が誰もおらずギスギスした日常生活を送っているーー
こういう人間は、有言実行には向かない。黙って、黙々と夢に向かって進むのみ、である。言わなきゃ反対する人も少ない。傷つけることもない。人が気づいた時には目標を達成していて「奇跡を起こしたね」と拍手される。特に日本人には、こっちの道の方が合っていると思う。
それでも、あなたの夢に気づいて「本音を探ってくる」人がいる。そうなったら逃げられない。あなたは本心を話すことになる。その時には覚悟がいる。相手が反対した場合、敵となる。説得しても無駄だ。切り捨てて先に進む以外にはない。相手が泣き叫ぼうが暴力的に攻撃してこようが無視して先に進む非情さは持たなければ目標は達成されない。
夢とはそういうものだ。
「覚悟」すべての責任は自分にある
夢を追いかける、と決めた時に自分と向き合い誓わなければいけないルールがある。
うまくいこうがいくまいが、「すべての責任は自分にある」と覚悟を決めることだ。その覚悟が持てないなら、そもそも夢なんて追いかけない方がいい。かなりの情熱と覚悟を持ってしても、かなわない夢もある。そういう破れた夢が街にはヒラヒラと舞っている。神様はそれほど優しくもないし、あなたに都合のいいドラマを用意してくれない。それでも、どーーしてもかなえたい夢があれば。やれば、かなうかもしれないよ。という程度の話なのだ。
だから、こんなはずじゃなかった、とか。なんで自分ばっかり・・ と、途中で愚痴を言うぐらいならやめといた方がいい。神様は常に我々の覚悟を試している。一見、乗り越えられそうもない山を置く。邪魔をする。
しかし、よーくその山を観察すると「乗り越えられない山じゃない」ことがわかる。よく言われているように「神様はその人に克服できる課題しか与えない。だから与えられた壁は、どこかに突破口がある。必ず!」
問題解決能力 を身につける
精神論だけでは、夢はかなわない。冷静に戦略を立て、目標までのルート、地図を描く。
自分だけの力ではかなわないから、先へ進む扉の鍵を持っている人は誰なのか? も調べなきゃいけない。次々に降りかかる問題を1つ1つ解決する先に栄光が待っている。「めんどくさい」と与えられた課題から逃げると、再び同じ課題が与えられる。
たとえば、「お金がない、という問題を解決しないと先に進めないのに」その問題から目をそむけたり無視してその場をやり過ごすとーー
何年かして再び同じ課題で悩むことになる。しかも再びお金の問題がやってきた時には、前回よりも複雑になって他の問題もからんでいたりする。複雑になっているのだ。
老人になって、人生の後半で複雑に入り組んだ問題にがんじがらめにされ、苦しんでいる人を見たことがないだろうか? 彼らは「めんどくさい」自分の課題から逃げ回っていた人である。
神様から我々に与えられた課題から逃げることはできない。覚悟を決めて取り組むしかないのである。調べたり、人に聞いたり予想を立ててテストを繰り返し、うまくいく方法を見つける。経験することで「問題解決能力 」は身についてくるのだ。
時間ではなく、「成果」で報酬をもらう
サラリーマンをやっていると、時間がお金に変わる。
しかし、それは特殊なケースで本来は「狩に出るから獲物をゲットできる」
古来、人間はそうやって報酬を得てきたが、サラリーマンという制度ができて「成果」がさほど上げられなくても時間を差し出せば給料がもらえるようになった。もちろん、あまりにも仕事ができなければ「給料泥棒」として首を切られることにもなりかねないが。今、再び制度が崩れはじめ、会社員だった人が丸腰のままジャングルへ放り出されるようになった。
社会から「会社という制度」が失くなりつつあり、個人で稼ぐ時代に進んでいる。ある意味、マンモスを狩っていた時代に戻っているのだ。一瞬で大金を稼ぐ人も現れている一方で、何時間働いてもお金にならない人もいるのが今の現実であるーー
夢をつかむ、とは。時間ではなく、「成果」で報酬をもらう、ということなのだ。
一生懸命の基準を上げろ!
何かに取り組む時「一生懸命にやります!」とみんな言う。
それは本当のことで、誰もが一生懸命にやっているのだと思う。しかし「ここから、100メートル先まで、一滴も水をこぼさず運べ。もし、こぼしたら即、その場で銃殺する」と言われるのと、「悪いけど、100メートル先のあそこまで、このコップの水を運んでねー」と笑いながら渡されるのでは、当然一生懸命に運んでも差は出る。一生懸命の度合いが違うのだ。
「戦時中は、おまえらとは目つきが違った。何をやるにも真剣だった」と、昔。目上の人によく言われたものだが、そりゃそうだろ。ピストルの弾が飛び交う戦場と今の社会を比較されても困る。戦場なら、誰だって目つきは違うさ。
そう思っていたけれど、一生懸命の基準を上げ「成果」で報酬をもらう時代に突入してしまった。
常に、なぜ? と問う
世の中にはヒントがあふれている。たとえば、デパ地下に行ったらなぜ「試食」できるのか? タダで食べさせて赤字にならないのか? これには「返報性の法則」というのがあって、「人は先に親切にしてもらうと、お返しをしたくなる性質を持っている」のだ。つまり、試食をしたうちの何割かは確実に買うので、結果的に儲かることがデータとして証明されているのだ。
こういう「先にタダで提供」するのは、フェイスブックもラインもオンライン・ゲームも無料で使え、その後で「スタンプ」買ったり、「アイテムや武器」を買ったり「いいね」欲しかったら広告出してね、と言って後からお金をもらう仕組みになっていることにも応用されている。
こういう仕組みは日常に散りばめられている。
常に、なぜ? と問う習慣を身につければ「仕組みが見えてくる」 それを、自分のやっていることに応用できないか考えるのが夢をかなえる道なのである。
自分の価値を高める
夢に近づくとは、自分の価値を高める行為の繰り返しだ。
自分の価値が高まると、人に与える価値も高まる。影響力の高い人物になる。「偉い人になろう」なんて思うより「日々、自分の理想に1歩でも近づこう」としてる人の方が凄みのある価値ある人物になる。とはいえ、人に与える影響は最初はどうでもいい。まずは自分のことだ。夢の達成には自分の価値を高めることが必要だと認識しよう。そのためにすべき事は、本を読む・人に会う・経験を積むの3つだ。
本を読む
本は「文字との出会い」ではない。無数にいる世の中の人との出会い、考え方、思想、ノウハウとの出会いである。世の中すべての人と出会うほどの時間はあなたには残されていない。だから本を読み「人に会う時間の節約をする」本はその人の思想のエッセンスだ。思わぬヒント、出会い、ひらめき、癒しがある。わずか千円程度の本で、人生が変わるほどの衝撃があったりする。あなたの価値を高める投資としては、びっくりするほど安く効果が高い。
人に会う
本には書かれていない最新の情報だったり、より自分にマッチしたタイムリーなヒントを得られるのが人に会うメリットだ。大きな転機やチャンスも人を介してもたらされる。あの時、あの場所へ行き、あの人と会ったことが成功のきっかけだった。ということは人生にはうなるほど、ある。
今第一線で活躍している人のプロフィールにも、必ず「人生を好転させた人物との出会い」が書かれている。言い方を変えれば、彼らだってその人物に出会えなければ成功できていたかどうか、かなり怪しくなる。
このように、キーマンとの出会い。福を持って現れる人物との出会いはあなたの人生にも必ず用意されている。が、その出会いを拒否している人をよく見かける。めったに人に会わない。出かけない。人からの誘いを片っ端から断る。
こういう人は、残念ながら運命の人にも出会えない。キーマンは、いつ。どんな姿で現れるかわからないのだ。ビッグチャンスを持った人がドアをノックしている時、「宝くじを買いに行っていたため」出会えなかった、というような人がすごく多い。
人に会おう。誘われたら、たまには断らず参加してみよう。外へ出よう。行動しよう。それが、キーマンとの出会いをもたらす。チャンスは、人が持ってくるものだと理解して欲しい。
経験を積む
いつもと同じ道を通り、同じことをして、同じ人とだけ会う。
これが平々凡々とした人生を送る秘訣だ。裏を返せば、いつもと違う道を通り、人と違うことをして、常に新しい人との出会いをしていれば毎日、使い切れないほどの変化、チャンスに出会うだろう。
まだしたことのない経験を、選択したことのない選択肢を選んでみて欲しい。それが新たなる経験となり、あなたに深みを与える。人生は冒険だ!
ダメージが大きく、生死に関わるような冒険は避けるべきだが、人と違う景色を見た人だけが大きな報酬を得る。
あきらめない + 自分に合った才能 で夢はかなう
あきらめなくても、何年やっても夢が叶わない人の特徴は「成果の出ないやり方をやり続けている」のである。
美大や音大を何年も受け続けて落ちる人は、いいかげんあきらめた方がいい。そのやり方では、夢はかなわないのだから。
具体的に言うと「才能」というものがある。
もちろん、「才能がなきゃダメだよ」と言いたいのではない。この世の中の人はすべてーー
なんらかの才能がある。その自分に合った才能 + 努力 + 継続 が加わった時、成功確率がグーーッ、と上がる。
ボクのバンドの歴代のギタリストは、超うまい。バカテクだ。
ある時、ボクは彼らにどれほど練習したか聞いてみた。答えは「ほぼ練習したことはない」である。「ギターが好きで、遊びで弾いているうちに、いつの間にか弾けていた」と言うのである。
これが、才能だ。
彼らは、もちろん練習している。ハンパない時間、ギターを持って弾いている。多い時は10時間以上弾いていることもあったという。しかし、「それは遊びだから」と言う。
ここが、ボクとは違う。ボクはギターを持つと「よし、練習だ!」というモードになる。努力してうまくなろうとする。ある意味、苦行だ。苦行で、ある程度のレベルまで行くのは秀才だ。ガリ勉していい学校に入る連中は、これに当たる。苦行を積み重ねるので修行僧のようだ。
しかし才能のあるヤツらは、まったく苦しそうな顔をしないで楽しそうにしながら「ガリ勉」を追い抜いていく。天才と呼ばれる。
しかし違うのだ。
異常に「そのことが好き」なのである。ギターが好きで好きで、ずーーっと弾いていても飽きない。つらくない。だから自然にうまくなる。苦行でうまくなったヤツは無理をしているが、好きでうまいヤツは楽しくてしょうがないからやっている。
これが、才能の正体だ。
そして、こういう才能は、多かれ少なかれ誰でも持っている。ボクもこのことに気づいて「もうギターはうまくならなくていいや。ボクの才能は別のところにあるのだから」と思うようになって楽になった。自分の得意分野を伸ばすようになった。この「好きだから、やっていることが苦痛にならない」という世界で勝負すれば、あなたも天才と呼ばれる。苦行の分野で頑張るからなかなか芽が出ないのである。
好きこそ、ものの上手なれ。
プロ野球選手で芽が出なかった選手が、ゴルフやプロレスの道に転向して大成功。スターになった人が何人もいる。
売れない歌手が飲食店を経営して大成功したり、プレイヤーになりたかったけれど解説者になって注目を浴びたり。。デザイナーで挫折したあと、漫画家になってベストセラーを飛ばしたり。そういうことが、この世の中では頻繁に起こっているのだ。自分の本当の才能に出会うために、「やりたいことと、できること」の違いを理解し、本当の自分と向き合おう。
いつまでやっても結果が出ないジャンルや方法論は、「向いてないことで頑張ってるんじゃないか?」と疑問を持とう。好きなことなら、もっと簡単に花が咲くよ♬
基本理念は壊さない
あなたの中には、壊してはいけないルールがある。
たとえば「いくら儲かるからといって、人を騙すことはしない」だとか、「偉そうにしないで人には親切にしよう」など、心の中に培われたあなたの品性がある。やっていいことと悪いこと。それは、カッコつけて人に言うための理念じゃなく、それを踏み外したら心が波立つもの。
その、基本理念だけは絶対に踏み外しちゃだめだ。
成功の過程で、思い上がったり鼻につくような行動をとってしまうのが人間だ。しかし本来持っている自分の品性を壊すと、それまで友人だった人が急速にいなくなる。後に残るのは、成功したあなたの果実だけを狙うハイエナだけだ。そんな連中ばかりになったら、たとえ成功できても転落する日は近い。理念が人を作り、周りの環境を整える。きれいごとばかりでなくてもいいけれど、基本理念だけは壊してはいけない。
コントロールできない ものに とらわれない
自分がやるべきことをやったら、結果は自然にゆだねよう。コントロールできないものにとらわれるのは時間の無駄だし、心をザワつかせるだけのことだ。
「不退転」成功するまで継続する
あたりまえの話だが、途中でやめなければ失敗はしない。一時的にうまくいかない時期が続いているだけなのである。たとえば100回叩けば壊れる高い壁を、99回まで叩いてやめる人もいる。あと1回叩けば壊れたのにね、という話は枚挙にいとまがない。後から来た人に抜かされるのは、途中であきらめたからだ。
冷静に自己を分析し、尊敬する第三者にも聞いて「この分野なら夢がかなう」と思ったらやり抜くだけだ。こういう状況の時は、成功するまであきらめない、と不退転の決死の覚悟で取り組もう。
何度も挫折を味あわせた神様も、どうしてもかなえたい夢ぐらいはかなえてくれるーー かもよ。
結論
すべての夢がかなうわけじゃ、ない。そんなに神様は優しくない。
でも、自分の才能で勝負できる分野であきらめず挑戦を続ければ。そして夢の修正をしながら勝てる場所を見つければ、「夢はかなう」
これがボクが60年近く生きてきて得た、結論だ。
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