ライナーノーツ【 第1話 】プロローグ

音楽ドキュメント・ストーリー 業界編 : バンド解散後、新しいグループを結成。
もがきながら進み、音楽メーカーと契約。業界の裏表〜会社設立までを描く。
ライナーノーツ
最初に「跳べ!ロックンロール・ジーニアス」を読んでください
【 第1話 】プロローグ
〔新章スタート〕
1997年の冬ーー
1997年の冬は オレにとって つらい冬だった。
「デビューは流れた。レコード会社はもう手を引いたよ」
予想していたこととはいえ、最終的な死刑宣告は やはり受け入れ難いものだった。過去20年近く、音楽での成功を夢見て走り続け、オーディションで優勝し、割の悪いバイト生活を続けながら やっと契約にこぎつけた。ニュース番組のエンディング曲でデビューする手はずだった。しかし、番組タイアップが流れ、契約は反古にされた。
「なるほど。契約とは、強い者が弱い者を縛る時だけに有効なものだな」
と、気づいた。後に残ったものは多額の借金ぐらいなものだろうか。バンドは解散し、スタッフも去った。ライブハウスならばたいてい どこでも出演できるだろう。ギャラをくれる店の仕事もあるにはある。しかし、それらは全て 未来につながる道とは思えない。そう思っていた時、ある人物から励まされ、自分の歌の背景を書いてみるように勧められた。
「文章ねぇ・・・・・」書く気なんて、さらさらなかった。例え売れてなくても、オレはミュージシャンだ。一応ミュージシャンのつもりでいる。「音楽家は、音で自分を表現するものだ」という こだわりから抜けられなくてね。
「小説を書けなんて、言ってない。ライナーノーツを書いてみれば?」
ライナーノーツというのは、CDを買ったときに歌詞カードと一緒についてくるものだ。曲の解説やバンドの紹介、バイオグラフィなどの背景について書かれている。それを書け、とその人物は言った。
「曲を聞いてもらいたいんだろ? でも無名の者のCDに手を伸ばすほど、世の中は甘くないぜ。日本にCDなんて あふれているからね。カズが何を考え、どういう歌を歌っているか。知ってもらえれば、聞きに来てくれる人も増えるかもしれない」
なるほど、とオレは思った。
本来は、有名な音楽評論家たちが書いてくれるライナーノーツ。それを書いてくれる人が、オレにはいない。誰にも頼まれもしない歌を、オレは今も歌っている。
自分の曲への解説、「ライナーノーツ」は、自分で書くしかなさそうだ。
ジーニアスがストリートを去って———
しばらくしてから、歩行天が中止になった。
マスコミが、「若者の自由表現の場を奪うのはおかしい」って騒ぎたててたね。行政指導に対する反対の署名運動が起こったり、キャンペーンライブが企画された。オレの所にも来たよ、ライブに参加してくれって。
オレは思うけど、アレは閉鎖されるべくして閉鎖になったんだ。
例えばゴミの問題。スゴいことになってた。散らかり放題で。日本堂の屋台のおじさん達が中心になって、バンドに呼びかけて掃除させたりしてたけど、思った程の効果は上がらなかったみたい。あと、騒音に関しては、もう深刻で。色んなバンドの音が混じり合っちゃって、楽しめるような状態じゃない。付近の住民は、ノイローゼになる人とかも出ちゃったらしい。中止を要請したくなる気持ちもわかる。
そんな状態だから、客層はガラリと変わり、一般人は避けて通るようになった。
ホームレスを追い出すための柵が出来、大量に集まって来るイラン人と それを追い出そうとする行政との知恵くらべがはじまったり。あの場所自体が、ドロ沼の様相を呈してくる。
何度か気になって、サンダーロードを訪れてみたけど、もう昔の面影は無かった。荒れちゃって。変わり果てた恋人を見るみたいで、心が痛む。
結局、大事にしなかったからでしょ?
あの場所で、客と出逢って立ち止まらせて。「音」でコミュニケイションとって、楽しませて・・・ 週に1度の大事な空間だった訳だよ、オレにとっては。でも、その後に出て来たバンドマンに そういう気持ちがあったのかな?
「売れるまでの我慢だぜ。こんなシケた所、早く抜け出してやる」くらいに思ってた連中、多かったと思うよ。だから、乱暴に扱って、ぐちゃぐちゃにして「関係ねぇよ」って、とぼけられる。
イソップかなんかの話じゃないけど、ハンターに追われた鹿が、ブドウ畑に逃げ込んで。「助かった」と思ったんだけど、自分をかくまってくれてるブドウを食べちゃって。身を隠す場所がなくなって、結局ハンターに見つかって撃たれちゃう。
ライブハウスみたいに、チケットノルマも無くて。客はひっきりなしに通るから、いい演奏さえ聞かせれば どんどんファンを増やせる。そういうミュージシャンの味方のブドウ畑だったんだけどね。あそこは。
閉鎖されてからーー
静かになったストリートを歩いてみたんだ。
ゆっくりと昔の場所に行ってみた。NHKと原宿の駅から富ヶ谷に続く道路の交差するあたり。
そこにオレ達の溜まり場があった。
「アレ? リーダー 久し振り」
テキ屋のおじいちゃんに声をかけられて振り向いた。
前にも話したけど、ジーニアスのステージの真後ろは、凄い売り上げが立っていた。ジーニアス景気と呼ばれてた。で、ナナメ後ろの屋台は、おじいちゃんが1人でやっている。ポパイみたいな顔した、おじいちゃん。そのおじいちゃんとこの屋台も影響が出て、売り上げがぐんと伸びたんだって。喜んでくれてた。
年金もないんだよ。その、おじいちゃん。
それでも行けば、ビールとか くれようとするんだ。「いいよ」って言っても、「いいから。いつも助かってるから」って押しつけるの。
何もおじいちゃんに貰わなくたって、差し入れ すごかったからね、当時。でも、「じゃあ、ゴチになります」って受け取って。オレが飲むのをうれしそうに見ながら、焼きそばを焼いてるんだ。
「いやあ、俺も若い頃は、リーダーみたいに肩で風切ってた時代もあったんだけどなあ」
ホントかどうか知らないけれど、バクチの世界じゃ有名な人だったらしいね。他の屋台のおじさんが言ってた。
「女房、子供泣かして、どうしようもなく悪いことしてきたから、今こうしてバチが当たってるんだ」ってニコニコ笑ってさ。笑顔がカッコいいよ、ああいう現役のジイさんは・・
で、ストリートが閉鎖になって。まだポツン、と屋台やってた。でも、誰も客がいない。
冬だったかな? ビールを買った。
「寒くてつらいね」ってちぢこまりながら オレが言うと、「おたくらがいてくれた頃は、良かったよー」って。
「今じゃ、まともに食ってけんわい」
ってぼやくの。そういえば心なしか、やせたかな? こういう老人には寒いよね、冬よりも世間の風がさ 冷たい。
オレたちのやっていた事は、いろんな人たちの生活とも結びついていて・・ そうか・・そうなんだ。簡単に考えていたけど。オレたちの音楽は巨大なエネルギーとなって。良くも悪くも多くの人を巻き込んでいた。
それから 又、何年か経って——
その場所に行ってみたら、もうきれいに片付いて。屋台もおじいちゃんも いなくなってた。
どこに行ったんだろう? 今も元気にしていて欲しい。
= つづく =
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