ライナーノーツ【 第2話 】委任状契約

音楽ドキュメント・ストーリー「業界編」:音楽プロデューサーと委任状契約を交わし、プロの音楽スタジオでデモ・テープを作成。プロデューサーが、それを持って大手レコード会社を回りデビュー先を探す。しかし時代は「タテノリ・バンド」ブーム
ライナーノーツ
最初に「跳べ!ロックンロール・ジーニアス」を読んでください
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【 第2話 】委任状契約
〔音楽プロデューサーと、委任状契約を交わす〕
自由が丘 ケーシー・ランキン 邸 ーー
話は前後するけど。
世界大会が終わって すぐケーシーさんと連絡をとったんだ。→ケーシー・ランキンさんが何者か、についてはこちら。
「武道館で開催されるはずだった 世界大会」は、天皇陛下が崩御されたため中止になった。しかし、各国から激しい予選を勝ち抜いてきた「その国を代表するバンドと、その関係者」からのクレームが持ち上がった。そのクラスのバンドになると、みんなマネージャーがついていて、その国でのデビュー準備をしている連中ばかりだ。デビューにハクをつけるため、どの国のバンドも「武道館大会での入賞」を勝ち取りたかった。だから YAMAHA への抗議は相当激しかったものと予想できる。
結果として、武道館は使えないものの「お台場に引っ越しする前の、新宿にあった頃のフジテレビのスタジオ」で世界大会はひっそりと行われた。「喪に服していた日本中が」やっと動き始めようかというころの話だ。昔夜のヒットスタジオという番組で使われていた場所だという。しかし、オレたちロックンロール・ジーニアスは何の賞も受賞することができなかった。時代の流れも含めて全部がオレたちの邪魔をしているかのように、急速にツキが落ち始めているのを自分でも感じることができた。「オレたちはもう終わりなんじゃないか?」恐怖に近い孤独を抱えていた時に、ケーシーさんの家に呼ばれた。
メンバー全員、家に招待された。
どきどきしながら呼鈴を押すと、髪の長い日本人の奥さんが扉を開けてくれて・・ 中へ入ろうとすると
「うわっ!」
黒い大きなラブラドールと 種類の分からない小型の犬に『検問』を受けた。匂いをかがれ、ペロペロと味のチェックまでされて。 さらに細かい荷物検査まで受けようかというころ、
「バーニー、チャンプ! イッツ イナーフ。カム ダウン」
ケーシーさんの声に2匹もやっと諦めて。無事、オレたち移民の入国が許可されたってワケさ。
大きなコップに飲み物を入れて、奥さんのヒロコさんが皆に渡してくれるんだけど・・ う〜ん、アメリカーンて雰囲気ただよっちゃってるんだ。 壁に掛かったモデルみたいな顔をした子供たちの写真、床に敷かれたラグ、ソファに寝そべる犬たち。
地下室があって、そこはプライベート・スタジオになってる。
大型のコンソールや24トラックのマルチ・レコーダー、エレクトリック・ピアノやら高そうなアンプが所狭しと並んでて・・ 溢れた機材やギターのハードケースが山積みになってるんだ。飛行機の手荷物シールが いっぱい貼られたケースを開けると予想通り——— ギブソンやらマーチンやら、12弦のオベーションやらがざくざく出てくる。宝の山にオレたちは興味津々の興奮状態で、へらへらと笑いっぱなしでね。
ショーグンの時の印税で 買ったらしい。ここと、隣にもう1軒。
都内の、一等地だぜ。そんなに儲かるのかよ、プロって・・
聞けば、当時はザクザクお金を使っていて。
毎晩、豪遊してたらしいけど奥さんが「それじゃ駄目だ、と思って」 少しづつ貯めて買ったんだって。
ナイス!!
それにしても・・ショーグンはミリオン・セラーにはなってないんだぜ。一番売れた曲が50万枚ちょっとで。それでも凄いけどさ、家が建つのかよ、2件も! 作詞、作曲、アレンジ。ほとんどケーシーさんが手がけてるとしても・・ そんなオイシイ世界なワケ?
壁にかかった いくつものプラチナや、シルバー、ゴールドディスク。
オレの夢が目の前にある。
へー、自分たちの曲ばかりじゃなくて、松本伊代のレコードアレンジでも賞を獲ってんのかよォ。
きょろきょろ落ち着かないオレたちの前に契約書が差し出されて。どきどきどき・・
緊張に震える手で、皆がサインをした。それが終わると とたんにくつろいだ気分になってさ。
「ザンネン ダッタネ」
「ええ。・・・・でも、世界の壁は 厚かったですよ」
「アハハハハ」
ケーシーさんは屈託なく笑った。
「コンテストハ、時ノ運モアルヨ。ジーニアスハ アソコマデ 行ッタデショウ? ソコマデ行ケバ モウ、皆ガ一番ヨ。ダイタイ音楽ニ順番ツケル方ガ オカシイ。アル程度マデ行ケバ アトハ好ミノ問題。ボクハ ソウ思ウネ」
なんだか そんな気がしてきた。
ジョークを交えながら、悪い状況を笑い飛ばす所が アメリカ人のいい所だ。暗くなっても、前には進めないからね。
「でも、武道館のステージに立てなかったのは、残念だな。折角のチャンスだったのに」
「ブッドーカァン ハ 自分タチノ 力デ立ツノヨ。レコーディングシテ CDヲ出シテ、ヒットサセマショウ。ソウスレバ ブッドーカァンヨ。ジーニアス ダケデ ブッドーカァン コンサート シタ方ガ、カッコイイデショ?」
なる程。いちいち言う事がごもっとも。オレ達でCDをヒットさせて、武道館に立つのか?その方がいいや。
「ヤクソクヨ、ブッドーカァン 立チマショ」
「カンパアイ!」
誓いの乾杯をした。
「アルファ・レコード」の外部スタジオが、音羽にあって。そこでデモテープを作ったんだ。ミスター ケーシー・ランキンのプロデュースでね。オレ達が緊張しないように、ジョークで和やかな雰囲気を作って・・・・ そういうケーシーさんの心遣いが、すごく嬉しかった。
レコーディングというのは、魔法なんだ。
マイクの位置や、向きをちょっといじるだけで、全く違う音が録れる。
「アンビエンスガ 録リタイネェ。マーシャルノ所ノ マイク オフゥッテ クレル?モウ チョット・・・・ OK。 ア、右ノギター パン フッテ」
ケーシーさんのやることは、いちいち的を得ていた。オペレーターへの指示が早くて正確なの。ドラムを録る時にも、スネアを固く固くしていくから、
「大丈夫かな?」
と、不安になったけど、ゲートリバーブをかけて 「シュウッ」っと逆まわしみたいな音に仕上がった とき、あまりのカッコ良さに舌を巻いた。
プロ中のプロだ。
あの人は、音の全てを知り尽くしている。オレうれしくて仕方がなかった。自分が作ったジーニアスというグループ。それをオレ達以上に大事 に扱ってくれて、自分達の気付かない部分まで引き出してくれる。
「プロっていうのは、こういうものなんだ。プロは凄い。さすがだ」
特にミックスダウンの時に、その真価が発揮された。
何日もかけて録り溜めた たくさんの音。音。音 ——————
それを交通整理して、大きくしたり、時には捨ててしまったり。パッと聞いただけで、瞬間に処理の 方法を考える。
天才だと思うね。まさに天才がオレたちを導いてくれている。
出来上がった音は。
オレ達とは思えない程、クオリティの高い、素晴らしい物だった。
本来なら、ケーシーさんの仕事はここまで。制作サイドの人間だから。
でも委任状契約をして、オレ達の行く末に責任を感じていたケーシーさんは、そのデモテープを持って あらゆるレコード会社を廻ってくれた。各レコード会社のトップと付き合いがあるから、簡単だと思ったんじゃない? オレ達をデビューさせ るぐらい。
・・・・ ところが。どこのレコード会社も引っかかって来ない。興味を示さないんだ。
原因は ——
サウンドだろうね。当時、オレ達はハードロックのアレンジに歌謡曲みたいなメロディーを乗せてやっていた。スタッフとかは、「ハード ポップ」とか呼んでいたけど、今考えるとやっぱり、もうあの頃の曲は聴きたくない。ケーシーさんは認めてくれていたけど・・・ 悪いことしたな。
それから 時代との「ズレ」というのもあったと思う。前にも話したけど、その時 タテノリ・バンド ブームが吹き荒れていたからね。新人は皆「イカ天」から出てくる、みたいな感じになりはじめていた。イカ天は「タテノリ」ばかりじゃなかったけど、「イカ天バンド」はやっぱり独特の雰囲気があったんだ。バブル時代の匂いなのかな、あれは。当時の連中は「バブル最高!」っていう人も多いけど、オレには馴染めない。時代から疎外された気がしてた。お金はブンブン飛び交ってたよ、昔の友達が家を、不動産を2軒も3軒も買って転がしてたからね。儲かってしょうがない、って言ってた。毎晩のように高級レストランで「彼女」と食事。外車を乗り回して・・
こっちは貧乏ミュージシャンでまったく別の世界にいる。お金はオレの頭の上を飛び越えて、音楽なんてとっくにやめた友人たちの懐へバンバン入っていった。夜中に寝てると電話かかってくる。陽気な声でクラブからかけてきて、受話器の向こうは音楽がバンバン鳴っているから大声でしゃべる。
「カズ、なにしてんの? 」
「寝てるに決まってんだろ」
「あ、そう。今から六本木来ない? タクシー代出すから車飛ばしてきなよ。楽しい夜だよ」
「何時だと思ってんだ。行くわけねーだろ」
「いや、今。音楽関係者と飲んでるんだよ。紹介するからさー」
また、そういう話だよ。音楽コンテストで優勝してから、めたらやったら「俺の知ってる業界人紹介するからさ」って話ばかりが舞い込んできた。実際会ってみると「ハシにも棒にもかからない」音楽業界周辺に巣食ういい加減なヤツらばかりだった。「音楽業界で働いてます」っていうと、あの時代は女にモテたしアホな金持ちが金を出すらしく、詐欺みたいなブローカーが掃いて捨てるほどいた。浮かれてたんだよ、男も女も。子供もオトナもね。
「そういう話なら昼間に聞くから。こんな夜中にかけてくんな、非常識だぞ」
「なんだよ、てめー。せっかく親切で紹介してやろうと思ったのに。バッキャロー!」
ガチャン、と電話が切れる。夜中の2時、3時だよ。あのころ、ホント。アホだ。アホばっかだった。だから大っ嫌いだ、バブルなんて。
そんな感じでインチキ「音楽周辺」業界人はいっぱいいたけど、本物の業界人には出会わなかった。どこにいるんだよ、オレの未来の扉を開けてくれる業界人はーー
そんな こんなで、だんだん焦って来たんだ。どこも決まらない。誰も助けてくれない。時間ばかりが過ぎていった。
ある日、メンバー全員が呼ばれて ケーシーさんの家に行った。地下のスタジオで、オレたちのデモテープを大音量で聞かせてくれた。いい音だ。
「ボクノ 力不足ネ。ゴメン」
「いえ、そんな・・・ ケーシーさんは すごくやってくれてますよ。感謝してます」
「ウン・・・ アトハ ジーニアスニ 運ガアルカダネ」
また「運」か。
その運に見離されて 武道館に行けなかったんだよな、オレたち。すごく不安になってきた。いろんな方法を使って 売り込みをかけてくれている。すごい労力をさいてくれたんだ。金にもならないのに。無料奉仕ってヤツだよ。ケーシーさんクラス の人が・・・・ 考えられない。
でも。どうしても駄目だった。どこもいらないってさ、オレ達・・・・ 嫌われちゃった。
最後、どうにもならなくなった時、それでもケーシーさんは
「ボクハ 今ダニ 信ジテルヨ。カズタチ、ジーニアスハ 最高ヨ。デモ・・・・ゴメンネ。駄目 ダッタ」
それから 又、おどけてジョークを放ったんだ。
「ボクハ 満足ヨ、ジーニアスト レコーディング出来テ。老後ニ 孫ニ聞カセル 素晴ラシイ アルバムガ作レタネ」
ケーシーさんもオレ達も笑ったけど、どことなく笑いに力が無い。「アハハ」と笑いながら、オレ達が帰る間際。突然 まじめな顔になって
「ボクハ アキラメナイヨ。コレカラモ ジーニアスヲ 色ンナ所ニ紹介スル。今ハ駄目デモ、キット イツカ イイ仕事ヲシテ・・・・ 憶エテル? ブゥドーカァンニ 立チマショウ」
それは、とても遠い事に思えた。と言うより、今となっては 夢物語りの空想かも知れない。
再び出会う日は あるのだろうか?
自由が丘の家を後にした。
= つづく =
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