跳べ!ロックンロール・ジーニアス【 第5話 】

音楽ドキュメント・ストーリー 跳べ!ロックンロール・ジーニアス
1980年代に巻き起こった 原宿歩行天バンドブーム の真実
【 第5話 】 音楽スタジオ作り
〔自分たちの城をつくる〕
イメージ・ギター
グループ名が決まった。ロックンロール・ジーニアス
うん、何かが起こせそうな響きだ。
メンバーにも何かイメージをふくらませる名前をつけようと思ったんだ。
ギターのトモコは小っちゃくて活発に動きまわる。リスみたいな バンドのマスコット。
「お前は、チビだから チビ太。トモコ・チビ太って名乗れ」
「えー。なんでですか? 嫌ですよ、チビ太なんて。あたし女だし」
「イヤならクビ。・・いいか、オレ達のようなテクのないバンドは、まずはキャラクターで勝負するんだ。実力がつくまで待ってる訳にいかない。ヘタなうちから客を納得させるためには、強力なイメージがなけりゃ駄目なんだ。
ついでに言うと、うちはリードギターもいる。サイドギターもいる。だから お前には”イメージ”ギターになってもらう」
「イメージギター?」
全員が首をかしげた。
「そう。ギターアンプのボリュームはしぼり気味にするから、ミストーンを気にせず 目一杯動け。サウンドは他のギタリストに任せて、今までのギタリストのイメージが変わっちゃうようなパフォーマンスに徹するんだ」
そう、もうバンドマンにパフォーマンスのことは言わない。芝居出身の奴らがやればいいんだ。
ベーシスト レイ・ギャング
ベースは「レイコ」って名前だった。
「お前はルックスは派手だし、クールにしてりゃあカッコいいのに、どうしても”熱血君”になっちゃう所があるな。クールなイメージに徹しろ、って意味で ”レイ・ギャング”でどうだ? 肩にかけるキーボードが売ってるから、それを買えよ。その方がベーシストっぽいぜ」
で、レイはリモートキーボードを肩からしょって弾くようになったんだ。
キーボードのヤスコは、我がままだからクイーン。
「お前は今日から、ヤスコ・クイーンな」
「やったあ。あたし、やっぱり”クイーン”って感じですよね」
「ちがうよ。メンバーの中で一番我がままを押し通して、皆に気を使わせる。つまり女王様級の我がまま娘って意味だよ」
「そんなことないです。もう」
「ホラ、また ふくれる。それがクイーンの証だよ」
パーカッションの久美子は、昔バレーボールやってただけあって、「ノリ」が体育会系だし、アネゴ肌で女の子のリーダーって感じだから、何か強そうな名前がいいな。
「うーん。”ツッパリ” ツッパリ・久美子にしよう。ちょっとイメージ違うけど」
女暴走族って感じでって。当時”ツッパリ”って言葉が流行ってたからだけど・・
今考えりゃ、相当カッコ悪いニックネーム考えてるんだよね、オレ。でも必死だった。必ずバンドを成功させる、ってアイデアを練りまくっていた時期だから。
今になって、経営を学んでみると これはブランディングとして優れた手法だな、と思う。他のバンドとの完全な差別化を図ろうとしていたんだから。そしてそれは、じわりじわりと効果が出てくることになるんだけど、この時点ではまだそんなことには気づきもしないでメンバーにあだ名をつけてたんだ。

シンセベースからスタートした「レイ・ギャング」とイメージギターの「トモコ・チビ太」
あとは、男のサックスの奴が、会長。
これは”ひねり”が無いの。この間やった芝居の役柄が「会長」だったから。そのまま、会長。
「お前さ、バク宙出来るだろ?」
「うん」
「それ、やれ。サックスを吹きながら、ジャニーズみたいに突然バク宙するの。うん、ウケるぜ これ」
だんだんオレのイメージする エンターテイメント バンドになって来た。他の連中は、とりたててイメージづけする必要も無いか、と思っていたら、マコトが
「オレさ。自分のギターに花火つけようかと思うんだ。前から試してみたかったの」
テッド ニージェントってギタリストがいて、ギターヘッドから火花が飛び散るアルバムジャケットがあるらしい。それ、花火で表現してみようかって。
「おお、やれやれ。じゃあ マコトは音もデカいし、そんな派手なこともやるクレイジーなギターってことで。 ”マコト・クレイジー”に決定だ!」
パチ パチ パチって皆が手を叩いた。
そして、ドラマーはトミノスケ。もう一人のギタリストは結局ニックネームが決まらず、そのまま ヒカル になった。あ、違った。最初は考えてみたんだよ。
「トミノスケは、そのまま トミノスケでいいだろう。充分個性的な名前だし。ヒカルは”早弾きヒカル”な」
まぁイメージが大事だろうって、ちょっと強引に決めたんだけど、あんまり定着せずに ヒカル のままになったんだ。
「カズさんは どうすんの?」
「オレはカズのままさ。オレの存在自体が 充分、ブランドイメージなんだ」
「ずるーい」
新メンバーになってから最初のステージは、法政大学の学園祭だった。
高校の時の友達で法政に行ったヤツがね、呼んでくれたんだよ。
アンプも足りなくてミキシングもぐちゃぐちゃ。もっともそんな細かいこと、言える技術もないし。バンドなのにMC(曲と曲の間のしゃべり)の代わりにコントみたいな芝居を入れたり・・大変だったけど、とり合えず初ステージが終わって。
「なんかさぁ、芝居じゃないよね。これ」
トモコが言った。
「あたり前だろ。バンドだもん」
オレが答えた。
「あたしたち、バンドより芝居がやりたいのに」
誰かが言った。
「・・・・」
その考え、その後も何ヶ月か 女のメンバー達は持っていた。
「あのなぁ、オレはバンドがやりたいんだ。もともとオレのバンドに乱入してきたのは、そっちだろ? オレとやるならバンド。芝居をやりたい奴は、そっちの道に進めよ」
代々木の駅かなんかで。練習帰りかな?メンバーにオレが言った。
オレはバンドの連中には「芝居がかったことなんかさせちゃって悪いね」って謝ってたし、一方 芝居出身者たちには早く音楽の世界に来てもらいたかった。その時のオレの気持ちとしては新しいもの、新しいスタイルの音楽がやりたい。でも、その設計図を持っているのはオレだけだったし、青写真のような話をしても 心底解ってはもらえない。
だからバンドにも、芝居にも あたりさわりのない、というか耳障りのいい話をしてお茶を濁していたんだ。でもいよいよ核心にせまられて。
「わかったよ、もう。芝居やりたいヤツ、そっち行けよ」
って言ったんだ。
女のメンバー、黙っちゃって。
「・・・」
でも連中、結局オレとやる方を取った。芝居への情熱は、徐々にバンドへの情熱へと変化したし。結果としては、良かったと思ってる。トモコ・チビ太は、今じゃあ素晴らしいギターが弾けるようになってるしね。
ただ、「ツッパリ久美子」に、アイツ酒ぐせ悪いから。酔った時に首を絞められたんだ。久美子、オレの首を絞めながら、
「おどりゃー! おのれが悪いんじゃ―。芝居からバンドなんかに変えやがってー!」
冗談半分、本気半分だったんじゃない?
皆、ゲラゲラ笑ってたけど、オレ アイツの寂しさがちょっとだけ解った。
そのあたりからライブハウスに出るようになって―――
吉祥寺の「シルバーエレファント」。今はもう無くなっちゃったけど、代々木の「レイジーウェイズ」とか。
店側にしてみりゃ、迷惑なバンドだったと思うよ。人数が多いから、セッティングもチェックも大変だ。
マコトのギターなんか、マーシャル フルアップだからね。しかも出力が増量するように改造されてる。音出した瞬間に、ビリビリ!! 空気がしびれて、鼓膜が破れそうになるんだ。
「スイマセーン。モニター ぜんっ、ぜん聞こえないんですけどォ」
ヤスコが悲痛な叫びを上げる。
当たり前だ。あんだけマーシャルの音がでかけりゃ もう、他の音は聞こえない。
「うーん、こっちサイドでは目一杯返してるんですけどね。バンドさんの側で音量下げられませんか?」
やんわりと店のスタッフにたしなめられる。
「マコト、ちょっと音 下げてよ」
「駄目だよ。マーシャルはボリューム下げても音量は変わらないんだ。”音質”が劣化するだけ」
確かにそうなんだけどね。そうなんだけど、程度問題ってものがある。しぶしぶ音量を下げる「パワーソーク」なんて買ってたけど、あまり変わらなかったなぁ 爆音。
モニターなんて、いくら上げても他の音は聞こえないの。「ピー ピー」ハウっちゃって、もう大変。しかもステージの上の、自分たちの音だけ気にしてりゃいいのに、わざわざスピーカーの前まで行って、「わかったような」顔して、客席の「出音」までチェックする。
「すいませーん。ちょっと500ヘルツんとこ、上げてもらえますか」
マコトが専門的なことを言っちゃったりして。でも店の人に、
「そういうことは、こっちでやるからいいよ。他のバンドが待ってるから、さっさと自分たちのバランス取って」
って怒られた。
LIVE が始まると、誰かがステージから落っこちる。
9人もいるからね、ひしめき合っちゃってる。ぶつかり合って演奏してたよ。キャパシティが狭すぎたの。うちのバンドには。
客席には人がいない。ステージの上の方が人間が多いっていう、情けないライブがずっと続いていたなぁ。あんまり人が来ないから、対策を考えて。ヤスコ・クイーンとトコモ・チビ太が、ある日 いっぱい人を呼んだ。
「どうしたんだよ、スゴいじゃん」
客席、満席・・ でも、何か様子が変なの。客が引いてる。
「あたしたち、”同窓会しよう”ってウソついて 友達呼んだんです」
「えっ!?」
皆 絶句しちゃった。
「そう。今 集まってる人達は皆、ライブじゃなくて 同窓会だと思ってるんですよ。バレないように、ちょくちょく友達の席に行っていいですか?」
売れっ子のホステスみたいに、バンドと客の席を行ったり来たり。サギみたいなライブだよ。でも、最後の方には完全にバレて、会場中にシラケた空気が漂ってたね。
そうしてるうちにも 毎月、貯金通帳の金額が増えていったんだ。
「おい、200万近くあるよ。どうする?」
物件は捜してるんだけど、金額的に折り合わない。
「どうしようか? この金額じゃ、やっぱり駄目みたいだな。ライブハウスは」
みんなガッカリした。
「安い所はスペースが狭いんだよな。これじゃあ音楽スタジオぐらいしか作れないじゃん」
「音楽スタジオにしますか?」
「それだったら、時間いくらで借りた方が安いだろ?」
「ウーン・・・」
ひらめきは いつも突然にやって来る。池袋のスタジオで練習してた時。
「アッ、いいこと考えた」
練習が終わった後に、皆を喫茶店に集めて。
「原宿に、パフォーマンスの盛んな歩行天があるだろ?」
「あの、日曜日にやってる奴ですよね」
「うん。あの通りは、今までは竹の子やローラー族、そして一世風靡や秘密結社Gみたいなパフォーマンスの連中が中心に活動してたじゃないか?」
「そうですねぇ。でも あそこ、今じゃパフォーマンスも下火になって、サックスの練習ぐらいしかやってないですよ」
「だろ? そこがつけ目なんだよ。誰もやってないからいいの」
「?」
「あの歩行者天国にさ、アンプとかスピーカーとかを持ち出して、ライブハウスにしちゃうっていうのは、どう?」
「でも機材は? 毎回レンタルするの?」
「さあ、そこでだ。まず、今まで貯めた金で音楽スタジオを作る。そして平日みっちり練習して、日曜日になったら その機材を車に積んで、出掛けるんだ。原宿まで」
困惑しているメンバーの表情を楽しみながら、オレは話す。
「いいか 前にも言ったけど、有名になるには、より多くの人前でやるべきた。しかも、いかに自分の知り合いとか友達じゃない、赤の他人の前でやるかだ。年間100ステージ。オレはそれをこのバンドの目標にしていきたい」
「年間100ステージ・・・ですか?」
「そうさ。結局は自分の時間のうちのどれだけを費やすかってことで価値が決まるんだ。どんなに立派な夢を持っていたって、アルバイトに一日のほとんどを使えばアルバイターだし、練習したり ステージをこなして毎日を送っていれば、たとえレコードを出していなくても ミュージシャンだと言える」
「プロみたいに活動するんですね」
「プロだって、年間100ステージもこなしている奴はそうそういないぜ。オレたちは、プロとかアマチュアとか そういう枠を超えるんだ。短期間で経験をいっぱい積んで、”メジャーもマイナーも関係ない。いいものはいい”ってことを証明してやろうぜ」
「そうかあ。ライブハウスにこもってるだけじゃ、100ステージも踏めないもんね。そのためのストリートなのかあ!」
「あたし”表”を作りますよ。100ステージ分の星を書いて、1つこなすごとに塗りつぶすの」
「ひゃー、それいいね! やろう やろう」
氷が溶けるみたいに前向きな反応が出始めた。でも、ヒカルとトミノスケは保守的で、そういう新しいことをやるのは抵抗
がある。だからこの頃、何かを提案すると必ず 渋い表情で否定していた。どんどん訳のわからない世界へバンドを連れて行こうとするオレにも、それに何の疑いもなく従う「音楽はじめたばかりの素人の女の子達」にも、少なからず不信感を募らせていたんだと思う。
「路上演奏なんて・・・カッコ悪いよ。昔の”河原乞食”みたいじゃん」
芝居出身者が盛り上がってバンドマンが水を差すって構図が出来はじめていた。
「でも、いいんじゃない? 俺この間、ライブハウスで”花火”やって怒られたから、路上で思いっきり試してみたいな」
マコトが助け舟を出してくれて。
1986年の春、高円寺にオレたちのスタジオが完成したんだ。

Analog Stereo Reel Tape Deck Recorder Player
みんなが貯めたのは200万以上の大金だった。でも、保証金と防音工事とかいろいろスタジオとして使える改造をしたら、それだけで貯金は全部なくなっちゃったんだ。
楽器が買えない。
しょうがない。オレがローンを組んだ。オレはその時、広告会社にいて。そこの社長から すごく信頼があったの。ミュージシャンなんて、社会的信用ない。普通にやってたら、「そういう」目でみられる。
だから音楽やってる奴って、すごく頑張って働く奴多いんだ。髪の毛とか長いから。一生懸命やらないと、すぐ差別される。オレも熱心に働いた。そしたら信用されて、
「よし。楽器のローンを組むなら保証人になってあげる」って言ってくれて。
よかった。オレ1人じゃとても200万円近い機材は揃えられない。芝居の時の借金もあったし。「さらに借金かあ」って思ったら、ドキドキした。でも、みんなでまた積立を続けて、そこから返済することになったから。オレだけが借金に苦しまなくても済みそうだった。
芝居出身の連中は今まで通り毎月5万。他の奴は2万とか5千円だったりを出し合って・・・・ まったく不公平な話だけど、そういうアンバランスな力関係でバンドは保っていたからね。
高円寺の駅前のビルの4階。
当時、電車から「囲碁」っていう文字が給水タンクに書かれているのが見えた。今はもう無くなっちゃったのかな、あのおんぼろビル・・ そこにオレたちのスタジオがあったんだ。スタジオの前には、屋上に続く扉があって、そこを開くと高円寺から新宿方面が見渡せた。
すぐ目と鼻の先に「中野サンプラザ」のビルがあって。
「見てろ。そのうちサンプラザのステージに立ってやる」
ってドラマチックにサンプラのビルを指さした。その時にはそれが そんなに早く実現する夢だとは思わずにね。ま、この話は後でするけど。
「さあて。来週から歩行者天国。ストリートに出て暴れてやるぜ」
って。その時は、そっちのことで頭がいっぱいだったんだ。
= つづく =
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